正義それは丸で逃げ水

先日の約束どおり不条理について話をします。

戦争が、なぜ起きるのか?なぜ中学1年生が飛び降り自殺を

しなければならなかったのか?考えてみたいと思います。

話が飛ぶでしょうから、ブロックに分けて話して、最終的に

まとめたいと思います。

戦争が起きる理由

誰もが戦争について教育を受けています。世界中の学校で

子供たちに戦争の無益さを教えています。戦争は悲惨で、

大きな傷跡を残し、誰にも利益を与えないと教えています。

どのような国家でもです。共産主義の国、社会主義の国、

民主主義の国、イデオロギーが違っても同様な教育です。

ですが、どこの国も大概軍隊を持っていて、軍備を敷いています。

ここが不思議です。

イデオロギーとは思想です。人間の行動を左右する根本的な

考え方を言います。これは、とても重要なことです。人間の行動

は、イデオロギーによって違う行動を取るということです。

つまり中国人と日本人は、違う行動を取るのです。ロシア人と

日本人も違う行動を取るということです。アメリカ人と日本人は

同じ行動を取るということです。さて、どうでしょう?

必ずしも、そうでは、ないことに気がつきます。なぜなら、もっと

細かく見ていけば、同じ日本人同士でも違う行動を取るからです。

つまり、国家の思想は国民の行動を束縛するほど強固なもの

では無いからです。そもそも国家とは何でしょう?

人は生まれれば、文句なしに、そのいずれかの国に属します。

大概は生まれた国の国民になります。もうその時点でイデオロギー

選択の余地は無いのです。そもそも生まれたての赤ん坊が、

思想について考えることなど不可能です。ここも恐ろしいことです。

思想は国家そのものだと言えます。一見、無秩序な集団では

有りますが、思想というしばりで国を象っています。

決して国境ではないのです。国境、そもそも領土を持たなくても

思想によって集団を作ることが可能です。それどころか、思想によって

国は作られてきたのです。

武力によって統治してきた歴史もありますが、ととで利害関係が

成り立たないからこそ、衝突が生まれるのです。

利害関係

早く言えば利、つまり得をすることですね。得ることです。

害、それは損です。失うことですね。この利と害の均衡が取れて

居る状態ならば衝突は起きないはずです。しかし、そもそも利を得るとは

何処かの誰かが損失することが前提なのです。つまり、利を得るものが

たったの一人であった場合と二者が利益を上げ、全く違うものが

損失する構造ならば、数の理論で行けば21で、損失するものは

違う価値観を持っていなければ、衝突することになります。

これが戦争です。

利害関係というと物質的、経済的なことに着目しがちです。ですが、

前述の通りイデオロギーの違いが最終的に戦争という行動に走らせる

のです。摩擦は早い段階から生まれます。ですが直ぐに実力行使には

なりません。それは戦争が大変な負を生み出すことを誰もが知っている

からです。では、なぜ戦争になるのでしょう。それが義の行使なのです。

義ギよし

1

名造条理。正しい道。道理にかなったこと。人道に従うこと。

2

利害をすてて条理に従う。公共のために尽くす気持。

イデオロギーによって戦争に発展すると言いました。良く考えてみて下さい。

平和に暮らしていた国民が、突然物資欲しさに、領土欲しさに、

早く言えば金目当てに戦争を引き起こすでしょうか。確かに、その一面は

持っています。ヤルタ会談を教えられれば、国のリーダーが、いかに

欲深であるかが分かりますし、日本の教育内容では、まるで

戦勝国が利を求めて世界大戦を始めたかのように感じます。もう

それだけだったように我は受け取っているはずです。

この教育だけでは戦争を教えた事にはなりません。

普通の人が人殺しをする理由が無ければ戦争には成り得ないのです。

正義とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正なにもとづく道徳的な正しさ

に関する概念である。

正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち

日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。

そうです。つまりは悪を成敗するために戦争は起きるのです。

事の発端は利害関係に有るのかもしれません。しかし実力行使に至り、

それが国全体にまで支配が及ぶようになるには共通の意義が存在

しなければならないのです。それこそがイデオロギーなのです。

あいつは悪いやつだから殺してでも成敗しなければとなるのです。

実際の生活では国の思想について意識することはほぼありません。

特に現代の日本では戦後の処理で、思想教育を義務教育から排除することを

アメリカから強いられました。その影響で、逆に思想的なことを言うものは、

危ない人間だと警戒され排除されます。ですが、実際にはしっかりと

思想を植えつける教育は幼稚園の時代から行われています。

戦後70年が経ち、既に国民全体に思想は定着しています。その証拠が

中学生の飛び降り自殺です。これについては改めて触れることにします。

話を戻します。正義に深く関係のある道徳についてです。

先に引用した

正義とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正なにもとづく道徳的な正しさ

に関する概念である。

これは一見まっとうで明瞭に見えますが、最後にある概念という

言葉が問題を難しくしています。

がいねん

概念

同類のものに対していだく意味内容。

同類のもののそれぞれについての表象から共通部分をぬき出して得た表象。

対象を表す用語について、内容がはっきり決められ、適用範囲も明確な、意味。

つまりイデオロギーが違えば正義も変わるという事です。

これは大変な事です。つまり自分が正しいと信じ、正しい行いをすることに

躊躇しないから戦争は起こるのです。

家族を守るために戦地へ赴く。

これだけで日本国民を戦争へ導くには十分な義に成り得たのです。

逆に言えば、それ以外の理由があっては国民に開戦の同意を得られなかったと

言っても良いでしょう。日中戦争の勃発の切っ掛けにもなった盧溝橋事件も

中国の捏造だった可能性も残っている。つまり中国からしてみれば日本が

悪党だというレッテルを貼らなければ戦争を始めることが出来なかったとも言える。

日本でも中国でもロシアでも、自国の利を求めて殺戮をしよう!!と

国家のリーダーが煽ったのでは、その政府は転覆するでしょう。

戦争は自分だけが正しいと信じきっているからこそ起きるのです。

それほど思想とは危険な存在なのです。ナチスドイツが典型のように

言われていますが、どこの国だって同じだったのです。

先ほど義務教育で思想を植えつけていると言いましたが、もう教師も無意識で

それを行っています。正義に深く関係のある、もうひとつのキーワードに

道徳があります。

どうとく

道徳

社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準の総体。

自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。

これも先ほどの概念同様、基準は思想によって変わってしまいます。

少し前のブログ記事で阿修羅について触れたことがあります。

阿修羅は自分の妹を辱められた復讐のために帝釈天を執拗に攻めるのです。

阿修羅は、恒に戦っていたようです。妹は、とうに帝釈天の妻となっていたのに、

戦いの手を緩めませんでした。たとえ正義であっても、ひとつのことに固執し続けると

善心を見失い、妄執の悪と成ることを教えています。

妄執、つまり執念です。第二次世界大戦と全く同じです。

国。一部の策士が最初に持った思想によって引き起こされたもの

だとは思う。しかし、戦争は、間違いなくみんなでやったのだ。反対されれば

国で生きて行けない。殺される。陵辱される。それに怯えて他人の正義を

自分の正義として受け入れていったのだ。それは最終的に集団心理に

成長して行くのだ。自分が間違っていると思うこと、認めること、それは

最初に戻って正しく生きる人間を全否定することに成るのだ。

つまり、しっかりと道徳教育された国民は善良で扱いやすい人間だと成る。

自分が悪党悪い人間だとは誰しも思いたくは無い。

それが戦争を引き起こし、戦争を長引かせ、終戦後も他国の責任へと

転嫁する最もな要因なのである。

明日も続きます。